札幌高等裁判所 昭和50年(う)14号 判決 1975年3月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
この裁判が確定した日から五年間右の刑の執行を猶予する。
被告人を右猶予の期間中保護観察に付する。
押収してある丸善モーターオイル、四リットルかん一個(当庁昭和五〇年(押)第六号の一)、ポリエチレン容器入りのガソリン(同号の一の2)、濃紺のポロシャツ様の布切れ三片(同号の二)、マッチ小箱一個(同号の九)、皮ケースつき登山ナイフ一丁(同号の一〇)を没収する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人鈴木悦郎提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対し、つぎのように判断する。
控訴趣意中事実誤認の主張(第一の一および二)について。
論旨は、原判決の事実誤認を主張するものであるが、その要旨は、(一)原判決は被告人の責任能力を肯認したが、被告人は限界級の知能を有し、対人恐怖、被害念慮に基づく奇異な行動をしていること、被告人は前から不眠、頭痛のため、鎮痛、催眠性の薬物を使用していたこと、本件各犯行の動機および態様の異常性を総合すると、被告人は中江鑑定書記載のように、犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつた。(二)原判決は判示第一において、放火未遂の事実を認定したが、被告人に犯意はなかつた、というのである。
そこで記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、まず右(一)の点についてみると、所論の中江鑑定は山下鑑定と対比し、鑑定資料の範囲および鑑定の方法、判定の理由等において不十分であつて、その鑑定結果をにわかに採用できないことは原判決が詳細説示するところであり、右説示はこれを首肯することができる。そして、右山下鑑定によると、被告人の知能が限界級であること、性格に偏りがあることなど所論の強調する諸点を十分考慮に入れても、被告人は犯行当時心神喪失または心神耗弱の状態になかつたことを優に肯認することができる。つぎに右(二)の点についてみると、被告人は捜査官に対し、本件放火の動機およびその犯意を詳細に供述していることおよび被告人の外形的行動とくに点火したガソリン入りオイルかんを原判示領事館の裏玄関の至近距離まで運んだうえ、同玄関めがけて投げつけていること等の客観的事実を合せ考えると、被告人に放火の故意があつたことは明らかに認められ、これに反する被告人の原審および当審における供述は不自然、不合理であつて到底信用することはできない。
そして記録および証拠物を検討しても、原判決は正当であつて、原判決に所論の事実誤認の形跡を見出すことはできない。論旨は理由がない。
控訴趣意中法令の解釈適用の誤りの主張(第一の三)について。
論旨は、原判決は判示第一において、被告人が「火炎びん」を使用したと認定し、火炎びんの使用等に関する法律を適用しているが、本件オイルかんはその性状、点火装置の程度からみて、遠距離からの投てきの可能性がないから、同法にいう「火炎びん」に該当せず、これを「火炎びん」と解した原判決には法令の解釈適用の誤りがある、というのである。しかしながら、本件四リットル入りオイル缶は、原判決の認定判示するとおり、その形状およびこれにガソリンを入れた場合の重量からして、一人で運搬することが容易であり、また、迅速・容易に「投てき」することが可能であると認められ、原判示のような点火装置、危険性を有し、いわゆる「火炎びん」としての特性を具備するものと解されるので、本件オイルかんを同法にいう「火炎びん」に該当するとした原判決の判断はまことに相当であり、所論の法令解釈適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。
控訴趣意中量刑不当の主張(第二)について。
論旨は被告人を懲役三年六月の実刑に処した原判決の量刑は重きに失し不当である、というのである。
そこで所論にかんがみ一件記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して犯情を考察するに、本件の事実関係は原判示が詳細判示するとおりであると認められる。本件の罪質、動機、態様とくに被告人の使用した「火炎びん」は実験の結果、強大な威力を有するものであること、本件放火の目的および犯行に対する社会的影響等を考えると被告人の本件所為はもとより厳しく非難されなければならない。
しかしながら、本件各犯行とくに放火未遂の所為については、限界級の知能を有し、低性格の被告人が対人接触面において強い劣等感を抱き、孤独、閉鎖的生活を続けているうち戦記物、軍事雑誌に読みふけり、米合衆国は東洋を侵略したと考え、これに抗議する意図で同国領事館に放火を企てたものであり、いわゆる組織的集団的犯行と目すべきものではなく、被告人の右所為は一過性のものと認められること、放火については幸い未遂に終つていること、被告人は犯行後逃走中一時自首しようと考えたこと、被告人には前科がないこと、および本件によつて約二〇〇日間身柄を拘束され、十分反省の機会を与えられ、この間被告人は宗教に関する書籍を読み、改悛の情を示して、将来の更生を誓つていること、その他被告人の年令、家庭の事情等記録上認められる諸般の事情を総合して考量すれば、被告人に対して今ただちに実刑を科するよりも、特に刑の執行を猶予し、適切な指導監督を加え、社会にあつてその罪をあがない更生の途を歩ませるのが相当であると判断される。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法三九七条一項により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用し、当裁判所において、ただちにつぎのように自判する。
原判決が確定した事実に対する法律の適用は原判決のとおりであるから、これを引用し、その処断刑の範囲内で被告人を懲役三年に処し、刑法二五条一項、二五条の二の一項前段によりこの裁判が確定した日から五年間右の刑の執行を猶予するとともに被告人を右猶予の期間中保護観察に付し、主文第四項掲記の物件のうち押収してあるマッチ小箱は同法一九条一項二号・その他は同条同項一号、二項により主文第四項掲記の各物件をそれぞれ没収することとする。
以上の理由により、主文のとおり判決する。
(粕谷俊治 太田実 宮嶋英世)
<参考 原判決>(札幌地裁昭和四九年(わ)第五五八号、同年一二月一七日第五部判決)
(罪となるべき事実)
被告人は、札幌市内の中学校を卒業後、同市内の会社に勤めたり、遊技場や塗装店に勤めたり、或いは自衛隊に入隊したりしたが、いずれも長続きせず、最近は仕事につかず徒食していたものであるが、数年前からアメリカ合衆国とソヴイエト連邦に対し、両国がそれぞれ東洋民族を蔑視し東洋を侵略などしたとして反感をもつとともに、そのころから新聞紙上などで報道されるパレスチナゲリラの行動や連合赤軍などの過激行動に興味、共感をもつようになり、とくにアメリカ合衆国に対しては、同国が太平洋戦争やベトナム戦争などにおいて日本人ら東洋人を多数殺りくしたとして、強い反感をもち、そのため、銃器等の武器を入手して、在日米国軍人を襲撃しようなどと考えたりしていたものであるが、
第一、右のような米合衆国に対する反感を強めたあげく、長崎原爆記念日を期してアメリカ合衆国在札幌領事館に放火して同国に報復しようと考え、昭和四九年八月九日午後一〇時一二分ごろ、札幌市中央区北一条西一三丁目所在の同国領事ステイブン・エム・エクトンらが居住する右領事館(木造トタン葺き一部二階建、延坪数478.4平方メートル)の北側ブロック塀を乗り越えて同領事館内裏庭に侵入したうえ、予め用意して運搬してきた、四リットル入りオイル缶の中に同量のガソリンを入れたものの上部に直径約五ミリメートルの小穴一六個をあけ、かつ同缶の注入口に点火装置とするための布片を挿入して作つた「火炎びん」の右布片に所携のマッチで点火し、これを同領事館裏玄関めがけて投げつけてガソリンに引火・炎上させて放火し、もつて、「火炎びん」を使用して他人の財産に危険を生じさせるとともに、人の現住する同領事館を焼燬しようとしたが、同領事館従業員に発見されて消しとめられたため、右裏玄関ガラス戸等に油煙を付着させたにとどまり、放火の目的を遂げなかつた、
第二、業務その他の正当な理由による場合でないのに、同月一〇日午前四時三五分ごろ、同区南九条西二三丁目先路上において、刃体の長さ約一四センチメートルの登山ナイフ一丁を携帯した、ものである。